ヴィヨンの妻を知識ゼロで観た

どういう作品か、まったく知らずにレンタルしたDVD「ヴィヨンの妻」。観始めから数分で「あれ?なんか文学的?」と思い、スマホで検索すると、作者は太宰治だった。

なるほど、それでかと納得。原作は一度も読んだ事は無いが、ダザイズムと言えば破滅的で退廃的なイメージ。

これに出てくる小説家・大谷は、酒飲みで遊んでばかり。女にも不自由しない男。生きる事が辛く、常に死にたいと思いながら生きている。

ついに愛人と心中を図るが、それすら失敗に終っちゃう。それどころか愛人を殺そうとした、殺人未遂にまで問われる始末。

人生における全ての尻拭いは、妻・さちに背負わせる。最初は妻の「健気さ」を感じたが、観終わる頃には「逞しさ」に取って代わっていた。

どう考えようが、大谷に太宰自身を投影していると思われる。さちは、理想的な女性像だったんだろうか。